【ひとりごと】自分を探しているつもりで隙間に挟まっているだけかもしれない話

 
ヒトは、自分の居場所を探そうとします。

いわゆる“自分探し”と呼ばれるやつですね。

探して探して、居心地のいい場所を見つけようとするわけです。

でも、居心地がいいかどうかを判断するのは、自分という主観なので、場所は絶対ではないはずです。

それに、生物が集団を作る場合、それぞれのテリトリーが重ならない配慮が優先されるはずです。

そうでなければ、戦争はなくなるはずですから。

ということは、お互いの居場所は、テリトリーが重ならない配慮の元に決まってくるはずですね。

自分の居心地の良さを維持するためにほかのテリトリーに侵食することは、ストレスを生んで、“居心地の良さ”とは矛盾するのですから。

それを楽しく感じることもあるでしょうが、そうなるとすでに“居心地の良さ”を求めるのではなく、侵食によるいざこざを解消できることに快感を得るという、違う目的にすり替えられていることになるわけです。

そう考えると、自分の居心地がいい場所を探そうという行為は、本当に居心地の良さが目的ではなく、テリトリーが重ならない“隙間”を見つけることになっているかもしれないのです。

とすれば、そこで“居心地がいい”と感じているのは、ごまかしでしかないかもしれません。

「それでも平穏だと自分が感じればいいでしょ」という意見もあるでしょう。

ただ、隙間で平穏を感じているのは、本当の居心地の良さには繋がらない気がするのです。

だったら、居心地が良い悪いではなく、隙間に収まっていないで飛び出していく生き方のほうが、もっと楽しく生きることが出来るところへ行けるんじゃないかと思っているのです。

 

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