障害を背負いながらプロとして拓かなければならなかったもの〜ヴァイオリニスト式町水晶の可能性を広げた出逢い

 

EテレのハートネットTVで放映していた「闘いの果てに〜バイオリニスト・式町水晶」はいろいろと考えさせられる内容でした。

番組を文字おこししたサイトがあったのでリンクを貼っておきます。

字幕書き起こし ハートネットTV ブレイクスルー67「闘いの果てに〜バイオリニスト・式町水晶」 2017.01.16

 

式町水晶さんは1996年生まれ。

3歳で脳性麻痺と診断され、リハビリでヴァイオリンと出逢い、8歳のときに中澤きみ子さんに師事してプロをめざすようになります。

番組ではその後にポップスにも興味をもった彼が、中西俊博さんに師事したことも紹介していました。

 

(水晶)これですこれです。
こうやってひたすら…こうやってず〜っとですよ。
1234って。
初めてのレッスンは3時間ひたすらステップを踏むだけ。
「バイオリン習いに来たのかな?」みたいな。
それとも「ダンスをやりに来たのかな?」みたいな。
その後も型破りなレッスンが続きました。

 

中西俊博さんは彼に、ヴァイオリンは指と腕で弾くのではなく、全身を使うことに気づかせようとしたのでしょう。

式町水晶さんは自分の身体が自由に動かないとあきらめていたので、そんなことをさせる中西さんに最初は疑問をもったとか。

しかし、「足って結構使えてまだ脳とつながってるんだと思って」と、知らなかった(見ようとしなかった)自分を発見します。

音楽という接点をもつことで、オープンになることのできた2人。

オープンにさせるパワーをもった音楽。

そして、オープンになったことでより多くの人に音楽を届けることができるようになった式町水晶さん。

魅力的な音を発し続けていただきたいと思います。

 

 

 

 

 

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