葬儀や供養がライト化する個&孤の時代を迎えてお墓をどうするかという件について

 

お墓継承に関しては、このブログでも少し触れていました。

 

 

賃貸か所有かという選択肢は、前提条件に「お墓をもつ」があります。

しかし、昨今ではこの前提条件さえ揺らいでいるというのが、次の記事。

「遺骨」を捨てる人も 「一族の墓」は維持困難|NIKKEI TRENDY

第一生命経済研究所主席研究員・小谷みどり氏に取材した内容によれば、葬儀を「義務」として考えない風潮がここ20年ほどで加速していること、それによって葬儀の在り方に大きな変化が出ていることを挙げ、その背景に「家族に負担をかけたくない」という心理が働いていると分析しています。

また、核家族化によって「仏壇」の意味が薄れ、お盆などの行事も行なわれなくなっています。

こうした傾向はお墓にも及び、家を象徴する存在であればこそ、その意味が薄れるのも葬儀と同様に進んでいる、と。

こうした意味の希薄化は、葬儀自体の簡素化になって表われることになります。

そして、葬儀を軽く考えるようになれば、遺骨も軽んじることになるでしょう。

その結果、駅のロッカーや電車の網棚などへの放置が増えている、小谷氏は指摘。

また、核家族化によって疎遠になっている親類の遺体引き取りという問題も、これに絡んできます。

会ったこともない縁者の死後の処理は、仏様には申し訳ないのですが、やりたくないと思っても仕方のないこと。

前述のロッカーや網棚に「忘れたふり」をしたくなってしまうのではないか、というわけです。

これ、犯罪ですので、念のため。

3年以下の懲役に処せられないように、出所を隠そうとするとなれば、もう「未分別ゴミ」扱いですね。罰当たりも甚だしい。

しかし、ニュース番組などで見た駅の遺失物には、こうした「忘れ物」もかなりあったように思いますので、道徳や警鐘だけで済まない状況になってきているのは確かです。

記事では、こうした引き取り手のない遺骨が東京23区で年間450柱、全国で年間約7,000柱もあると指摘。

身元不明者だけではこれだけの数になるはずもなく、やはり引き取り拒否によってこうした状況になっているそうです。

まあ、引き取って、簡単に葬儀を行ない、無ければお墓を作らなければならず、供養をするだけでも100万円を下らない出費が想定されるわけですから……。

こうした事態に、直接の対処を求められる自治体の一部でも動きがあり、「ひとり死」への施策を打ち出しています。

しかし、自治体では予算もかぎられ、人口減の直接的な原因でもある「ひとり死」に費やす公費の増加は、自らの首を絞めることにほかなりません。

現状、樹木葬や手元供養といった「お墓をもたない供養」は、終活のバリエーションととらえられていますが、「ひとり死」の増加が避けられない以上、お墓が「供養」ではなく「お片付け」の範疇で判断すべきアイテムになる日もさほど遠くないのではないでしょうか。

空き家問題と異なり、供養する人が無くなったお墓は無縁墓としてお寺などの管理者が処理するため、この問題は見えにくくなることも考えられます。

それだけに、「故人を偲ぶ」ことを含めて、お墓の在り方を考え直す必要がありそうです。

 

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