2018年6月5日
「死なせていいか生かすのか」のジャッジ制度を作ると言う考え方
脚本家の橋田壽賀子氏が理想の死に方について語っている記事が目に留まりました。
92歳の橋田壽賀子が語る「わたしの理想の死にかた」 |文春オンライン
長ゼリフもさることながら、その台本の一字一句を変えさせないというスタンスを貫き通してきた業界の第1人者らしい考え方で面白いと思いました。
特に、尊厳死では死期を選ぶことができず、「やはり安楽死でなければダメなのです」という部分は彼女らしいと思います。
私が興味深かったのは、この記事の後半で死にたいと申し出、他人の希望を叶えるべきかどうかジャッジする制度を作ってはどうかと提案している部分。
橋田氏は、医師、看護師、弁護士、ソーシャルワーカー心理カウンセラーなどが五六人でチームを組みたいと申し出た人をジャッジする制度を作り、法制化してはどうかと提案しています。
つまり、死にたいという希望に対して、精神状態だけでなく、社会生活の状況や家族関係、経済状態、家族の賛否などを含めた総合的な見地から「死んでもいいのか、ダメなのか」を判断し、その結果を認めてあげようというわけです。
このジャッジによって、安楽死が認められるだけでなく、死ぬことが許されない場合には、そのジャッジを下したチームが支援する、という点が橋田氏のアイデアのユニークなところではないでしょうか。
彼女は自殺者も減るのではないかとしていますが、それに対しては疑問が残るかもしれませんが…。
これは、死ぬ権利に対するマニュアル化なのではないかと思います。
ただ、「もういい…」と言う発言者の意思が権利から発したものなのか、諦めなのかをジャッジするのは、裁判員制度なんかよりも格段に難しいことは確かでしょう。