切れやすい老人に対するサービス提供側の心構えについての違和感
ある記事を読んでいて、違和感を抱きました。
サービス業大手の前社長と老年心理学の専門家による
対談です。
老人はなぜ、販売員の「カステラおひとつですか」に怒ったのか?
という見出しの記事で、主旨は「未来の買い物」を
考えようというもの。
未来のサービスの在り方として、専門家に
「シニア層への適切な対応法を知りたい」
というオファーが多くなっている現状を
説明している部分があります。
そこで高齢者が支払いのときに機能・能力の
衰えによって手間取ることが増え、
それが理由で「買い物」と「不安・不快」が
結びつかないようにするための、
サービス提供側の心構えを挙げています。
違和感を抱いたのは、そうした高齢者側の
「不安・不快」を「キレる老人」と結びつけ、
解決の糸口としようとしている点。
実は、こうした「不安・不快」が「キレる」
を招く因子になりえることは私も異論を
唱えるつもりはありません。
対応によって「キレる」ことをなんとかすべきなのか
この対談の主旨が「買い物について考える」ことで、
論点がどうしても提供側の目線になることは
やむを得ないことでしょう。
しかし、「不安・不快」の対角線上にある解決策は
「安心・快適」であるはずなのです。
そう、「キレる」」ことをどう受け流すか、
ではないということ。
ちょっとわかりづらいかもしれませんが、
提供側のノウハウで考えるのではなく、
「キレる」側のケアを軸として考えるべきだと
思うわけです。
そしてそれは、サービスというカテゴリーではなく
カウンセリングの領域なのではないですか、と。
もちろん、サービス提供側、具体的には接客する
最前線の方々がカウンセリングの知識やマインドを
身に付けていることが理想であり、その可能性が
高ければ私の違和感も大人しくしていたはず。
しかし接客の現場はカウンセリングを併用して
対処できるほど余裕がないことは、
傍目からしても伝わってきます。
限られたリソースをどう配分すればいいのか。
それにはまず、サービスとカウンセリングの
スキルを発輝すべき役割を分けるべきであること。
そのためにも、サービスの窓口でカウンセリングの
対処もしてしまおうと欲張らないことが
重要だと考えるのです。
そりゃあ、一石二鳥で「キレる」お客を
なんとかできるようになれば効率的でしょう。
でも、その負担と責任は接客最前線の方々の
肩に重くのしかかるわけです。
なによりも私の違和感の発端には、
「変えるべきはキレる側で提供側ではない」
という考えがあります。
「キレる」人への対応が上手くなっても、
その「キレる」人がヨソへ移ってキレたのでは
解決になりません。
キレる人のハケ口がこうした接客の現場にあって、
それが増えていることは問題視すべきことです。
しかし、「魔法の言葉」に頼るべく、
その探索に注力するのは、
「なんか違うなぁ…」
と思ったわけです。
それと同時に、ハードルの低いカウンセリングの
“窓口”の必要性についても考えさせられた
ニュースでした。