「死を自分でどうにかしようと思うのは不健康」と養老孟司氏は言っています

 

先日、橋田壽賀子氏の「自分の死をコントロールしたい」という想いをどうやって反映させるかについて触れた記事をアップしました。

 

 

それに対して、「いやいや、死ぬことを自分の意志でなんとかしようとするなんて、ダメですよ」というご意見を発していたのが、解剖学者の養老孟司氏です。

 

このところ「終活」っていう言葉が流行りだけど、生きていること自体が一種の終活だからね。死という自分ではどうしようもないことに対して、自分でどうにかしようと思うのは不健康です。生まれたときだって、気が付いたら生まれてたわけでしょ。予定も予想もしてなかった。死だってそうですよ。きっと気が付いたら死んでいる。

 以前はあれこれ考えていたけど、最近はもう考えない。考えても無駄だというのが結論です。

 こういう最期を迎えられたらいいなという希望も、ぜんぜんないなあ。そのときはそのときです。安楽死を認めてほしいっていう意見もあるけど、僕はそれは無理な話だと思う。自分の意思というものは、そんなに頼りになるんだろうか。

 現代人は自分の意識で自分をすべてコントロールしたがるけど、それはおこがましい話です。意識というのは、しょせん目が覚めているあいだだけのもので、寝ている3分の1の言い分は無視していいのか。そっちの権利はどうなる。

 そもそも自分の意識なんて、どんどん変わっていきます。死の間際なんて状況は、自分を大きく変えるに決まってるから、そのときの自分に従うしかない。

引用: 「ぜんぜんないなぁ」養老孟司が自分の“最期”“終活”を明かす |AERA dot.

 

どちらも一理あるという感じなのですが、養老先生のほうが現実で、橋田さんは夢(希望)ということになるのでしょうかね。

 

 

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