2020年3月29日
山小屋のヘリコプター問題は登山文化を危機に陥れるのか?
北アルプス雲ノ平山荘の経営者による、ヘリコプター問題の提起。
山小屋の物資輸送に欠くことのできないヘリコプターの運用について、2019年夏に機体トラブルなどで機能不全が起きていたという話から。
採算面や人材といった、どの業界も抱える問題もあいまって、深刻化しているそうだ。
私が山を知るようになった1970年代は、山小屋は避難所と同意義というイメージだった。
それが80年代になって飛躍的に改善され、再び山に行くようになった90年代には、生ビールが飲めて、ケーキセットが注文できて、温泉もあり、個室でゆっくりとくつろげる、というラグジュアリーな施設に変貌していた。
こうした変貌を可能にしたのが、ヘリコプターという輸送手段であったことはまちがいない。
その生命線が絶たれそうになっているということは、登山という産業が消滅することを意味していると言っていいだろう。
登山にそこまでの社会資本の投下を求めなくてもいいのではという意見もあるだろう。
しかし、「今まで行政が山小屋の公共性を正式に評価し、制度に落とし込むことをしてこなかった」という指摘には、考えなければならない課題があることも確かだ。
平地が圧倒的に少ない日本において、山小屋のヘリコプター問題は、社会インフラの在り方を考えるひとつのテストケースになりえるということだ。
ひとつは、無人大型ドローンの実用化のような、技術革新による解決が考えられる。
遭難者の運搬を含めて、100kg程度の荷重を移動できる無人の器の開発は、ロケットよりも有用で必要なのではないだろうか。